明治40年(1907)に巨額な費用を投じて建てられた木造校舎が、
平成2年(1990)の夏、84歳にして小学校の役目を終えた…。
今も、どっしりとした威容を誇る我が母校。
この木造校舎が、私たちの心をとらえ続けるのはなぜだろう。
中国地方の教育を語る時、ルネッサンス風木造校舎ぬきでは考えられない。
明治の人たちが残した教育への情熱が伝わってくる。
小学校へ通った遠いあの日。
ふと、よみがえるあの場面。
ここに来れば、きっと思い出す…。
お知らせ
2024/12/16
2024/12/13
2024/11/15
2024/11/04
2024/11/04
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2024/11/04
2024/11/04
2023/01/31
旧遷喬尋常小学校について
明治40年建築のシンメトリー木造校舎。
国指定重要文化財。
平成2年夏、小学校としての役目を終え、
現在は一般に開放している。
2階中央部に配置された講堂の格(ごう)天井は圧巻。
ふと純情だった幼少時代に戻れる思い出空間。
01前身
明治3年(1870)町内の有志が発起して金屋村(かなやむら)大旦高下(おおだんこうげ)(現、真庭市台金屋)に明親館という郷学をつくった。命名は備中聖人の山田方谷であり、自ら「明親館」の額を書いた。 塾の先生には方谷の門人があたり、生徒数は46人であった。その後、明治7年(1874)8月2日、栄町(さかえまち)の久世代官所御蔵(年貢米倉庫)を校舎として開校した。
02建築
生徒数の増加に対応するため校地移転が計画され、2年間の工事期間を経て、明治40年(1907)7月20日に完成した。工事費は17,984円56銭で、当時の町予算(経常経費)の2.93倍もの巨費が投じられた。
設計は県の江川三郎八工手、建築材は真庭市木山国有林の優れた檜、杉を使用している。
03校名
特徴的な校名の由来は中国の古典、『詩経』の一節で「出自幽谷※遷于喬木(ゆうこくよりいでてきょうぼくにのぼる[※うつるともよむ])」から明親館のつながりを持つ山田方谷が2文字をとって遷喬(せんきょう)と名付けた。
伐木(ばつぼく)という全18行の詩の、2行目にある一節。ウグイスが深山の暗い谷間から飛び立ち、高い木に移ることに例えて、学問に励み立身出世することと解釈されている。同じ校名の鳥取市立遷喬小学校とは姉妹校の縁を結び交流を続けている。
04校舎
一目でその雄大さに圧倒される校舎外観はシンメトリー(左右対称)のデザインである。校舎中央のドーマー窓の校章や、飾り窓、五輪塔を模したフィニアル、ハーフティンバー風の筋交いなどが目を引く。内部は、講堂の二重折り上げの格天井、腰壁や戸板の細工、また部材に両端を残す面取りがほぼ全てに施され、まるで迎賓館を思わせる豪奢な内装となっている。現存する“江川式”擬洋風建築では最大規模
05文化財
平成2年(1990年)の夏に小学校の役目を終えた校舎は、平成11年(1999年)5月13日、国の重要文化財の指定を受ける。現在は一般開放をしており、だれでも自由に見学できる。校舎内はNHK連続テレビ小説や、映画「ALWAYS三丁目の夕日」等のロケ地としても使用され、台本や写真、江川三郎八が手掛けた校舎模型を展示している。
見学をされるお客様へ
入場料
入場は無料です。
開館時間内は
どなたでも見学ができます。
開館時間
開館時間
09:00~18:00
ツアー見学
受付時間
10:00~16:00
売店
営業時間
10:00~17:00
休館日
水曜日
年末年始
※水曜日が祝日の場合、翌平日休館
ボランティアガイド
案内をご希望の方は、ボランティアガイドが案内いたします。(要予約)
ボランティアガイド1人:3,000円(税込)
写真撮影について
私的な利用であれば自由に写真等を撮影していただけます。
校舎前の土広場は、隣のエスパスセンターで催物がある時、駐車場として利用する場合があります。
その他
・定められた場所以外での飲食、喫煙、火気の使用は禁止です。
・介助犬、盲導犬を除くペットを連れての入館はご遠慮ください。